衣斐弘行

  戦に敗れし日より憂きことは親のなき子らさまよひあるく 私は毎年八月十五日に「慈眼堂歌日記」を繙き拝誦する。この歌集を知ったのは私が高校生の頃で、医師で妙心寺派の僧侶でもあった叔父松原弘兆からであった。 歌集の著者は河野宗寛老師(一九〇一~七〇年)という方でそのとき手にした歌集はガリ版刷りのものであった。 叔父は戦前、名古屋の師団から軍医として家族で旧満州(中国東北部)に渡った。そこで二人の幼い子供を残し妻を亡くし、敗戦後ソ連に捕虜として抑留された。抑留直前に二人の子供を当時新京(現・長春)妙心寺別院住職であった宗寛老師に預けた。